追悼 長谷川 英郎

2003年は、六月と十月に身内の葬式があり、悲しむというよりあっけにとられたと言う感じだった。
十二月七日、そんな一年もそろそろ終わるんだなぁ・・・と呆けてテレビを見ていたら、
仕事で賢島(三重県)に行っている亭主から電話が入った。
「長谷川さんが名古屋で倒れた。家族に連絡とりたいんだけど、
自宅に電話すると本人の携帯に転送されてきてらちがあかないらしい。」とのこと。
長谷川さん、というのは近くに住むキーボードプレイヤーで、
近頃は糖尿病から腎臓を病んで体調が悪いというのは知っていた。
名古屋には同じくキーボードプレイヤーの田代さんのトラ(エキストラの略:つまり代打)で行ったらしく、
現地で困ったスタッフが北海道で仕事中の田代さんに連絡し、
田代さんが近所に住んでいる小堀くんなら・・・と亭主に電話して、
まわりまわって私が長谷川さんの家族さがしをすることとなった。
長谷川さんの母校に息子が通っており、
彼の同級生が同校の教師をしていることを思い出し、
学校の名簿を調べて電話するも、日曜日だったのでスポーツの試合があったり、
教会に行く習慣があったりで、なかなかつかまらない。
そうこうしているうちに、現地から「長谷川さんが亡くなった」と電話が入り、
私はてあたりしだいに電話しながら涙でぼろぼろになってしまった。
やがて、てあたりしだいにかけた電話のどれかから同窓生経由で長谷川さんの弟さんに連絡がとれたらしく、
弟さんの方から私のところに電話が入った。
亡くなったということは私の口から伝えることとなり、
あとは遺体が搬送されてきて通夜があって葬式があってなんだかあっという間に長谷川さんは「故人」となっていった。

息子が長谷川さんの母校に入学したのは、
正直で一生懸命な長谷川さんを見て、そういう卒業生を生む学校の教育方針が好きになったからだ。
独身だった長谷川さんが、私が子供を生むと、
自分の母校を強力にアピールして見学に連れ出してくれたおかげでもある。

彼の死後、同窓生が彼を偲んで「ジャズを愛したゴールキーパー」という追悼文集を作った。
どすこいな体型ながらスポーツ万能、バンカラな学校で寮生活しながらジャズピアノを夢中で弾いていた、
名ゴールキーパーでならし他校の生徒から「空飛ぶ横綱」と恐れられた、
と当時を振り返る同窓生が多く、彼の人柄が偲ばれる。

葬式続きだった2003年、生きていくのは大変だけど、
死ぬ時はなんてあっけないんだろうとつくづく思う。
愚痴を言うのも疲れを感じるのも怒るのも悲しむのも、
死んでしまったらできない。大変だけど、
しっかり生きていくのが残された者の使命なのだろうか。
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